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    【ATM便り】 2015年4月2日号

    茨城新聞で毎月1回掲載していただいている「ATM便り」。4月2日付の記事は、4月4日(土)に開催する「間宮芳生の肖像」に因んだ話題です。

     ハンガリーの作曲家バルトークは、20世紀初頭、盟友コダーイと共に、ハンガリー民族独立の気運の下、ハンガリーやその周辺の民俗音楽の収集と研究を行い、ハンガリー独自の音楽の道を開きました。そして、バルトークと同じことを、日本の源泉から掘り起こす作業を、日本人作曲家の誰かが行ってもいいだろうと考え、行動したのが、間宮芳生でした。バルトーク同様に、間宮芳生が目を付けた音楽の源泉は、民謡でした。

     民謡は、人々の生活の中に息づき、人生を彩るものでした。仕事の苦しみを和らげたり、集団作業の足並みをそろえたりするために歌われた労働の歌。この種の民謡で、日本にとりわけ数多く存在するのが、稲作に関する歌です。その作業の段階ごとに、さまざまな歌が作られています。まず「田打ち唄」または「田起し唄」、そして「田小切り唄」、「苗取り唄」、「田植え唄」、「田草取り唄」、「稲刈り唄」、「籾摺り唄」、そして「米搗き唄」といった具合です。また、奉公に出された少女が、身上のつらさを吐露しながら、背負った子どもをあやすために歌われる「子守唄」も各地に残されています。そして、神仏や祖先の霊に向けて歌われる祈り、祭礼の歌は人々の営みと密接につながっている、とても重要な存在です。
    間宮芳生
     間宮芳生は、日本全国に残る膨大な数の民謡を研究し、そして、バルトークやコダーイの流儀に倣って、これらの旋律にピアノ伴奏を付けて、ステージ用作品として発表しました。これが彼の初期の代表作「日本民謡集」となりました。そして、間宮芳生の関心は、日本の民俗音楽ばかりでなく、世界のさまざまな地域の民俗音楽へと広がっていきました。間宮芳生を夢中にさせたのは、民俗音楽の中に宿る原音楽的な響きと、西洋芸術音楽がどこかに忘れてきてしまったまじないの力を持った音でした。

     水戸芸術館では4日に、間宮芳生の創作の軌跡をたどる演奏会「間宮芳生の肖像」を開催します。間宮芳生自身が自作について語り、わが国の合唱指揮の第一人者である田中信昭をはじめ、間宮芳生が大きな信頼を寄せる演奏家たちが、その作品を演奏します。ぜひ、ご注目ください。

    (水戸芸術館音楽部門芸術監督 中村晃)
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