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    【間宮芳生の肖像】 民衆の生活に根差した原音楽をめぐる旅の軌跡

    間宮芳生水戸芸術館の企画運営委員を長く務めてくださった作曲家・間宮芳生氏の作品を特集するコンサート「間宮芳生の肖像」を4月4日(土)に開催します。間宮芳生氏ご自身が自作について語り、氏が大きな信頼を寄せる演奏家たちが、その作品を演奏します。間宮芳生氏の「原音楽」をめぐる旅の軌跡を、どうぞお楽しみください。

    演奏会に先立って、間宮芳生氏にインタビューをさせていただきました。その記事は、水戸芸術館音楽紙『vivo』2015年4月号でお読みいただけますが、このブログでは、このインタビューのフル・バージョンを掲載します。

    間宮芳生氏インタビュー

    <幼少時代>
    ― 間宮先生は1948年に、郷里の青森を離れ、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の作曲科の門を叩いていらっしゃいますが、作曲家になろうとお思いになったきっかけはどのようなことでしたか。

    間宮芳生:ピアノを始めたのは4歳位で、初めて作曲をしたのは6歳位です。しかし、そこから習慣的に作曲を続けたということはありませんでした。ピアノは続けていて、中学校では吹奏楽部でクラリネットを吹いて、そこでは編曲を受け持ったこともありました。戦争が激化して、1945年の春、周囲の影響もあって、海軍兵学校を受けなくてはならなくなりました。それが合格してしまい、兵学校に行ったのですが、その時はベートーヴェンの「エロイカ」(交響曲 第3番)のスコア1冊を宝物のように持って行きました。その年の8月に敗戦になり、家に帰ってきて、中学にもどったらやっぱり作曲がしたくなって、自分で勉強を始めて、そして、48年に芸大(当時の東京音楽学校、現在の東京芸術大学)の作曲科を受けたら、ストレートで入ってしまいました。このあたりが作曲家を志した最初のきっかけです。

    ― 芸大に入るまでは、独学で作曲を勉強されていたのですね。

    間宮:そうなんです。私は4人の男兄弟の末っ子だったのですが、長兄は、北海道にいた時から、ピアノの先生について習っていました。私はその影響で、ピアノを弾き始めたのだけれど、先生をつけてもらうということはありませんでした。見よう見まねでやっているうちに、ピアノを弾くことがだんだん好きになっていきました。兄は作曲はしませんでしたが、何でだか、私は作曲をしてしまったのですね。そうしたら、それもなんかおもしろいなという感じは子供の時から持っていました。
    海軍兵学校に行く頃までに夢中になっていたのが、家にあったアルトゥル・シュナーベルが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲のレコードです。それから、中学生の頃には兄貴が盛んにレコードを買い始めていて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲とかその他にも色々ありました。ある時には、たまたま親父が東京へ出て、私に土産にSPレコードを1枚買ってきてくれました。ラフマニノフが弾いているリストの曲とラフマニノフ自身のエチュードの1曲が表裏入っていて、こんなピアニストがいるのか、こんな音楽があるのかと思い、たいへん刺激的でした。これらのことが、自分が作曲に興味を持ち始めたひとつの要因になっているかもしれないですね。


    <日本民謡へのご関心>
    ― 間宮先生は、東京音楽学校を卒業された直後に、日本の民謡を研究され、それらを素材とした作品を作曲されるようになったとうかがっています。日本民謡との出会いやその魅力についてお話しください。

    間宮:農民や漁民など、民衆が仕事場で歌っている、その生活の力が溢れている民謡に心を惹かれました。NHKが『民謡大観』を作った時にソースになった録音がSPレコードで何千枚とあったんですね。それをやたらと聴きまくりました。アルト歌手で優れた民族音楽研究者でもあった内田るり子さんと一緒に、日曜毎にNHKに行っては聴いて、その中から、これやってみよう、これもやってみよう、と作っていったのが、24曲の「日本民謡集」です。生活の中で歌われていた力を宿しているのが本当の民謡の姿だと思い、その中でも特にハヤシコトバに魅力を感じました。それが「合唱のためのコンポジション」シリーズの作曲のきっかけになっています。芸大の卒業の年くらいからこの仕事を始めて、何年間かNHKに通って、それを聴きまくったということが、私にとっては大きな財産になっています。それが私の民謡との出会いです。

    ― 今回の演奏会では「日本民謡集」の中から、間宮先生の郷里でもある青森の民謡や九州の幾つかの民謡などが選ばれていますが、その選曲のご意図について教えていただけますか。

    間宮:優れた民謡のある県というのは、いくつかまとまって存在しています。青森と秋田、岩手……岩手がことに素晴らしいのですよ!それから富山県、平家の落人が住み着いたという平村というのがあるのですが、そこに京風、都風の不思議な民謡があります。そのひとつの代表曲が今回取り上げる「まいまい」(富山県民謡)です。それから九州にも優れた民謡があって、長崎県、宮崎県、鹿児島県の民謡がとても面白いです。今回のプログラムでは、波多野さんが九州出身で、九州の方言の表現がとても上手なので、「米搗まだら」(長崎県民謡)と「草切節」(鹿児島県民謡)の2曲を入れました。東北と九州という南北の地域にすばらしい民謡があって、地理的にも真ん中にある富山の民謡がプログラムでも間に入ってくるというのが今回の選曲です。
    この「日本民謡集」では、もとの民謡の旋律はできるだけ地元の人の伝承の歌い方をそのままの形で、忠実に楽譜に書き写し、ピアノ伴奏については新しく作曲して、それぞれの作品にしています。

    ― 「合唱のためのコンポジション」について、もう少し教えてください。

    間宮:さっきも言った通り、「合唱のためのコンポジション」では、日本民謡の中にいろいろな形でみつかるハヤシコトバを素材にしています。ハヤシコトバというのは、歌うための自由な言葉の発想に基づいているものだから、たとえば僕が自分でハヤシコトバを作ったとしても構わないのだと思いました。それで、「合唱のためのコンポジションの」の中には、実際民謡の中にあるハヤシコトバと僕が作ったものとが一緒になって、両方入っています。こうして作った作品が17曲あります。
    その中には、ストーリーを持つ作品もあります。たとえば第5番の「鳥獣戯画」は、僕にとっての非常に大事な作品で、この絵巻物の作者は不明で、鳥羽僧正という説もあるけど、それはどうもあてにならないらしいのだけど、その『鳥獣戯画』で動物たちが人間の生き方をしているのを戯画にした第1巻(甲巻)を題材にした記録映画が作られて、その音楽を頼まれて、合唱を主体にした曲を書きました。記録映画が完成した後で、それを素材にして合唱の独立した作品に作りました。それが「合唱のためのコンポジション 第5番“鳥獣戯画”」です。その時の映画監督が、映画『鳥獣戯画』は音楽無しではあり得ないのに、音楽作品「鳥獣戯画」は、映像抜きでも存在できているのがとてもくやしいと言っていました(笑)。それは僕にとって非常に大事な作品です。

    ― 合唱音楽として、それまでに無い、新境地を拓いたのが「合唱のためのコンポジション」シリーズなのだと思いますが、今回演奏される、その「第一番」が出来上がった時の、周囲の反応というのは、どのようなものでしたか。

    間宮:これを歌ったら歌い手がのどを壊すといって、だいぶ嫌がられたことがありました(笑)。


    <世界の民俗音楽>
    ― 間宮先生のご関心は、日本ばかりでなく、世界の諸民族の民俗音楽へと向けられていきました。今回演奏される「弦楽四重奏曲 第2番 “いのちみな調和の海より”」では、フィンランドの民謡やザイールの音楽などの素材が使われているとお聞きしました。先生が興味をもたれる海外の民俗音楽について、お話しください。

    間宮:ハヤシコトバ的な力というもの、そういうものが他の民族の中にも見つかって、とても面白いのですけど、ひとつはアフリカです。それからもうひとつは北欧のフィンランドです。フィンランドの民謡の歌詞は、一行が8シラブル(音節)で構成されているのがたくさんあるのですが、それが6+2に分割されています。「タタタタタタ」で6ですね。8分音符6つ(4分音符3つ相当)。それと「ター、ター」という4分音符2つ。だから「タタタタタタ、ター・ター」という5拍子になります。これがすごく面白い。そしてこの地域の民俗的な器楽の演奏にも、5拍子が沢山出てきます。このように5拍子がひとつのスタイルとして存在しているというのは、他の地域ではあまりないことです。チャイコフスキーの作品のなかでは6番のシンフォニー(作品74)の中に5拍子がありますけど、あれは別にフィンランドからのものではないと思います。チャイコフスキーは、フィンランドの音楽を知っていたかもしれませんけれどもね。
    それともうひとつフィンランドやノルウェーの北方少数民族サーミ族に「ヨーイク」という民謡があって、これがハヤシコトバみたいな、マジナイコトバみたいなものだけで歌われています。これがどうもキリスト教以前の信仰を隠すために、コトバ隠しを歌ったのではないか、という説があります。それは確かではないのですけれど。これが私にとってはとても魅力的でした。歌の世界のひとつの核になっているのは、そういったマジナイの力をもった言葉と音であると思います。


    <文明批評として>
    ― 間宮先生の1960年代半ば以降の作品は、今日の世界に対する鋭い文明批評そのものであり続けている、と評する評論家もいます。今日の世界の状況について、どのようなお考えをお持ちですか。

    間宮:僕が本当に今の世界に対して言いたいことは、人類そのものの生き方が、とても間違っているということです。富が偏在しはじめたということと、人間が言葉を使いはじめたということと、両方に起因していると思うのですが、他者への感じ方、考え方が、非寛容どころか攻撃的で、ひとつの種の生物の中でこれほど殺し合いで歴史を作ってきたのは人類しかいないだろうと思うのです。今は、ISIL(イスラミックステート)の問題に絞られているかもしれないけど、人間は有史以来殺し合いをしている。人間から人間に向かっての武器を作っているのは人類だけでしょう。


    <4月の公演の出演者について>
    ― 今回の演奏会には、間宮先生がご推薦くださった演奏家の方々がご出演されます。少しご紹介ください。

    間宮:東京混声合唱団と田中信昭さんがやってきた仕事というのは、日本の作曲家に、合唱作品を創るための刺激を与えつづけて来てくれました。そこから優れた作品が沢山生まれてきたと思います。それは本当に感謝しなきゃいけないなと思っています。私も含め数多くの日本人作曲家の作品を初演、再演してくれています。野平一郎さんはぼくの弟子でもあるのだけれど、作曲家でもあり優秀なピアニストでもあり、今までに僕の曲を沢山弾いてくれています。波多野睦美さんは古楽が専門ですけれど、日本の九州などのうたもとても上手に歌われます、信頼している人のひとりです。ウェールズ弦楽四重奏団は、私にとっては未知数ですが、こうした若い人たちの演奏を聴かせてもらえることを、とても楽しみにしています。



    <水戸芸術館の今後>
    ― 1990年の開館以来、水戸芸術館音楽部門の企画運営委員としてご尽力くださり、礎を築いてくださいました。こらからの水戸芸術館の活動について、ご提言がありましたらお聞かせください。

    間宮:私は静岡音楽館AOIの館長を10年間務めました。そこでも僕が非常に力をいれていたのは、とにかく日本の作品をレパートリーの中に取り入れて、そこで日本の作曲家の仕事をしっかりと聴いていただくという企画でした。水戸芸術館でも、そのような企画を核に入れていただけたらいいなあと思います。これからに向けて。現代の日本人作曲家たちを、水戸の聴衆の皆様もぜひぜひ応援をしてあげてほしいなと思います。


    <4月の公演に向けて>
    ― 最後に、水戸の聴衆に向けて、メッセージをお願いします。

    間宮:私にとってゆかり深いこの水戸芸術館で、私の個展のコンサートを開催してくださること、それも私が深く信頼する演奏家の方たちの演奏で、水戸の聴衆の皆様に私の作品をお聞きいただけることは、本当に有り難いことで、無上の喜びです。


    2015年2月
    東京・世田谷にて
    聞き手:中村 晃
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