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    【ATM便り】 2015年6月11日号

    ジルバーマン・ピアノ
    今回のコンサートで使われるゴットフリート・ジルバーマン、1747年製フォルテピアノ
    武久源造さんの公式ウェブサイトより)
    茨城新聞で毎月1回掲載していただいている「ATM便り」。6月11日付の記事は、6月17日(水)に開催する「ちょっとお昼にクラシック 武久源造(フォルテピアノ) ―このピアノを、バッハは弾いた―」に因んだ話題です。

    今回のコンサートでは、バッハが弾いたピアノの復元品をコンサートホールに持ち込んで開催します。
    バッハはピアノのための曲を1曲も残しませんでしたが、なぜまったくなかったのか……、そこにはどうやら、ひとつの「からくり」があるようなのです……。

    バッハが弾いた音色

     ピアノという楽器は、1700年頃にイタリアで発明され、1720年代にドイツに伝わりました。バロック音楽の頂点を画すヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)が生きた時代は、まさにピアノの草創期でした。

     バッハは生前、実際にピアノを弾いたことがありましたが、彼は「ピアノのため」と銘打った作品をまったく残しませんでした。それゆえこれまでは、バッハはピアノを、彼が親しんでいたチェンバロやオルガンほどには評価していなかった、と信じられていました。しかし、この通説はいまや否定されつつあります。バッハの伝記や遺品からは、彼がピアノの製造に助言を与え、販売にも関与していた証拠が発見されているのです。

     それではなぜバッハには、チェンバロの曲はあるのに、ピアノの曲がないのでしょうか。その謎を解く鍵が、楽器の名称にあるという指摘があります。バッハの時代には、鍵盤楽器といえばチェンバロでした。エファ・バドゥーラ=スコダ氏の研究によると、当時、「チェンバロ」という名前は鍵盤楽器の総称であり、ピアノも昔は「チェンバロ」と呼ばれていたというのです。ピアノが発明された当初の正式名称であった「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」(弱音(ピアノ)も強音(フォルテ)も出るクラヴィチェンバロ)にも、「チェンバロ」という言葉が入っているように、昔はピアノがチェンバロの一種と考えられていたわけです。さらにイタリアでは、20世紀になっても、タイプライターを「チェンバロ・アル・スクリヴェーレ」(筆記用鍵盤)と呼ぶことがあったそうです。つまり、鍵盤=チェンバロだったのです。

     バッハが晩年に暮らしたライプツィヒの新聞によると、バッハは1733年6月17日にコンサートを開催し、「当地でまだ演奏されたことのない新型のチェンバロ」(当時の新聞広告より)を披露したことが分かっています。この「新型のチェンバロ」がピアノを意味していたことは、ほぼ間違いないと言われています。バッハが弾いたピアノは、どんな音色だったのでしょうか。約300年を経た今年の6月17日、水戸芸術館で皆様にお聴きいただきます。

    (水戸芸術館音楽部門学芸員・篠田大基)


    今回の記事の執筆にあたっては、小林義武先生の『バッハ――伝承の謎を追う』(春秋社、初版:1995年)を参考にさせていただきました。

    記事のなかにも書きましたが、今回のコンサートの開催日の6月17日というのは、1733年にバッハがライプツィヒでピアノ(と推測される楽器)を使ったコンサートを開いた、まさにその日でした!
    しかも、1733年の6月17日も、今年の6月17日も、どちらも水曜日なんですね!!
    企画するときに狙ったわけではなくて、偶然の一致だったのですが、気づいたときは、ちょっとドキッとしました。

    バッハ先生のご加護でしょうか、はたまた、ジルバーマン師匠のご加護でしょうか? おかげさまでコンサートのお席は残り少なくなっていまりました。ご予約は、どうぞお早めに!

    《篠田》
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    | ちょっとお昼にクラシック | 17:21 | comments:2 | trackbacks:0 | PRINT | TOP ↑

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    【ちょっとお昼にクラシック】 ―このピアノを、バッハは弾いた―  BACH SPIELTE AUF DIESEM KLAVIER

    昼下がりのコンサートホールで優雅なひとときをお過ごしいただける人気のコンサートシリーズ「ちょっとお昼にクラシック」。6月17日のコンサートでは、国内に1台しか存在しない貴重な楽器が登場します。かのヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)が弾いたピアノの復元品です。
    題して、「このピアノを、バッハは弾いた」。
    バッハやその息子たちの音楽を、彼らが実際に弾いていたピアノの音色でお聴きいただきます。バッハの鍵盤音楽のスペシャリストである武久源造さんの演奏と解説で、どうぞご堪能ください。

    武久源造/ジルバーマン・ピアノ
    武久源造さん。この写真の楽器が今回のコンサートで使うバッハが弾いていたピアノの復元品です。


    「バッハが弾いたピアノ」と聞いて、いぶかしがる方もいらっしゃるかもしれません。
    バッハ自身は「ピアノのため」と銘打った作品をまったく残しませんでした。バッハの鍵盤音楽がピアノで演奏されることは多々ありますが、やはりオルガンやチェンバロでの演奏が主流でしょう。
    「ピアノ」が発明された当時の正式な名称は、「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(弱音(ピアノ)も強音(フォルテ)も出せるクラヴィチェンバロ)」。古い時代のピアノを現代のピアノと区別する意味で「フォルテピアノ」という呼称もありますが、いずれにせよ、その名前のとおり、強弱の表現がピアノの大きな特徴です。18世紀の頃から、ピアノでの演奏を想定して書かれた作品には強弱の指示が頻出する傾向があります。
    史上初のピアノ音楽(つまり「ピアノのため」と楽譜に印刷されている作品)であるロドヴィコ・ジュスティーニの〈ソナタ集〉(1732年出版)からして、楽譜には「ピアノ」や「フォルテ」の指示が頻出しているのです。
    他方、バッハが楽譜に「ピアノ」や「フォルテ」といった指示を書くことは、ほとんどありませんでした(これは強弱をつけずに演奏されたという意味ではありません。強弱を書く習慣がなかったという意味です)。

    しかし、バッハは生前、実際にピアノを弾いていたのです。ピアノはイタリアの楽器職人バルトロメオ・クリストフォリによって1700年頃に発明され、バッハが生きたドイツでも、オルガン職人のゴットフリート・ジルバーマン(1683~1753)によって1730年代に製作されています。彼はクリストフォリのピアノを手本に、さらなる改良を施して独自のピアノを完成させました。
    今回のコンサートで皆様のお目にかけるピアノは、1750年に世を去ったバッハが生涯の最後の時期に触れたであろう1747年製ジルバーマン・ピアノの復元品です。

    なぜバッハは「ピアノのため」と銘打った作品を書かなかったのでしょう?
    これまで、それはバッハがピアノという楽器を評価していなかったからだ、と信じられてきました。バッハが初めてピアノに触れたときのことを、バッハの直弟子が伝えています。その逸話をひも解いてみましょう。
    「ゴットフリート・ジルバーマンはこの楽器〔注・ピアノのこと〕を手はじめに二台製作したのだった。その一台を、いまは亡きヨーハン・ゼバスティアン・バッハ氏が実見し、かつ、試奏した。彼はその響きをほめた、というよりは激賞したといってよいが、しかし同時に、高音部が弱すぎるうえに、弾きづらいという指摘もつけ加えた。自分の製品に少しでもけちをつけられることに我慢のできないジルバーマンは、これを聞いてすっかりつむじを曲げてしまった。」

    (シュルツェ編「原典資料でたどるバッハの生涯と作品」酒田健一訳 角倉一朗編『バッハ叢書10 バッハ資料集』(白水社、1983年)所収、128頁)

    この記述をもとに後世の音楽史家は、バッハはピアノに対して、製作者のジルバーマンを怒らせるほどの厳しい評価を下した、と考えたわけですが、よく読んでみれば、バッハはジルバーマンのピアノの欠点を指摘しただけではなく、その響きを「激賞した」(!)とも書いてあるのです。

    もしかするとバッハは、ピアノに大いなる可能性を見出していたのかもしれません。事実、バッハの伝記や遺品の研究からは、この後も彼がジルバーマンのピアノの性能を検査したり、自分の演奏会でピアノを使ったり、さらには販売まで手伝っていたことが、明らかになってきています(詳しくは、改めて書きたいと思います)。

    バッハがちょうどピアノという楽器を知った頃に作曲した作品が、6月のコンサートで取り上げられます。〈パルティータ 第4番〉BWV828です。
    全部で6作品ある〈パルティータ〉は、1726年からほぼ年に1曲のペースで作曲されていった、当時のバッハの技法や知識の集大成ともいえる作品です。そして大変興味深いことに、特に後半の第4~6番では、チェンバロよりもむしろピアノに適しているようなダイナミックな表現、言い換えればピアノ的な表現語彙が登場しているのです。
    今回のコンサートに先がけて、武久源造さんがジルバーマン・ピアノで録音した〈パルティータ〉全曲のCDが4月7日に発売になります(コジマ録音 ALCD-1148/9)。

    水戸芸術館のコントルポワンでは今日(3/31)から先行販売させていただいております!

    takehisa_cd


    このCDを聴けば、きっとジルバーマン・ピアノの実物をご覧になって、バッハが讃えたその音色を生でお聴きになりたくなるのではないでしょうか?

    貴重な楽器をコンサートホールに持ち込んで開催するコンサート。
    ぜひお楽しみになさってください。

    《篠田》(『vivo』2015年5&6月号より。一部加筆)

    | ちょっとお昼にクラシック | 14:18 | comments:0 | trackbacks:0 | PRINT | TOP ↑

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    【ATM便り】 2015年2月19日号

    茨城新聞で毎月1回掲載していただいている「ATM便り」。2月19日付の記事は、「ちょっとお昼にクラシック 松波恵子と素敵な仲間たち」に因んで、“女流”チェロ奏者の話題です。
     ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945~87)という天才チェロ奏者がいました。16歳という若さでデビューし、奔放とさえ言える情熱的な演奏で世界中の聴衆を魅了したイギリスの“女流”チェロ奏者です。

     今では、わざわざ楽器の前に“女流”を付けることはほとんどなくなりました。しかし、同じ弦楽器でもヴァイオリンやヴィオラではなく、大型楽器であるチェロ(標準的な長さは125センチ程度)をあえて女性が選ぶことは、当時は珍しいことでした。
    松波恵子
    松波恵子

     水戸室内管弦楽団のメンバーでもある松波恵子さんは日本の“女流”チェロ奏者の草分け的存在と言ってもいいでしょう。中学生の姉がすでにチェロを習っていたため、小学2年生の時、いきなり8分の1サイズのチェロを与えられても、松波さんは何の抵抗も感じなかったと言います。

     その後、多くの優秀な音楽家を育てたことで知られる教育者・斎藤秀雄氏に師事。女生徒にも容赦のない厳しいレッスンに必死に食らいつき、高校3年生の時(1966年)、日本音楽コンクールで第2位入賞を果たします。

     パリ留学後、今度は小澤征爾氏にその実力を認められ、20代の若さで新日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者に就任。ソリストとして、室内楽奏者として、オーケストラの首席奏者として、現在まで日本のチェロ界を牽引する輝かしい活動を展開してきました。

     また、松波さんが弾くチェロの朗々とした響きと、小柄ながら実にしなやかに体を使って演奏するその姿に、チェロを志す多くの若い女性奏者たちが励まされたようです。実際、松波さんに弟子入りを志願する学生は多く、向山佳絵子さん、水谷川優子さんといった現在第一線で活躍している名演奏家たちが松波門下から巣立っています。

     27日の「ちょっとお昼にクラシック」では、松波さんが中心となり、信頼する音楽仲間たちとともにソロや室内楽の名曲が披露されます。松波さんのチェロの包容力ある響きには、“女流”チェロ奏者として果敢に時代を切り開いてきた長い歴史の重みも、じわりと感じられることでしょう。

    (水戸芸術館音楽部門主任学芸員・関根哲也)

    | ちょっとお昼にクラシック | 15:09 | comments:0 | trackbacks:0 | PRINT | TOP ↑

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    【ちょっとお昼にクラシック】 武久源造(フォルテピアノ)

    6月のランチタイム・コンサート「ちょっとお昼にクラシック」では、国内に1台しか存在しない貴重な楽器が登場します。18世紀前半にドイツのオルガン職人ゴットフリート・ジルバーマンが製作し、かのヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)が弾いたピアノの復元品です。その美しい音色を、バッハの鍵盤音楽のスペシャリスト・武久源造さんの演奏と解説でお楽しみください。

    オルガンやチェンバロを得意としたバッハには、不思議なことに、「ピアノのため」と銘打った作品がありません。バッハは実際にピアノを弾いたこともありましたが、当時のピアノは発展途上で、バッハはその性能に満足しなかった、とこれまで信じられてきました。

    しかしこの説はいまや否定されつつあります。バッハの伝記や遺品からは、彼がピアノの製造に助言を与え、販売にも関与していた証拠が発見されています。

    バッハが弾いたピアノはすでに楽器として十分完成の域に達していたのではないか?
    バッハの晩年の鍵盤音楽は、ピアノで弾いてこそ高い効果が得られるように作曲されたのではないか?


    バッハが弾いたピアノの復元楽器とともに、バッハとピアノをめぐる謎に、皆様をご案内いたします。

    ちょっとお昼にクラシック 武久源造(フォルテピアノ)
    BACH SPIELTE AUF DIESEM KLAVIER
    ―このピアノを、バッハは弾いた―

    武久源造/ジルバーマン・ピアノ

    【日時】
    2015年6月17日(水)
    13:00開場・13:30開演 (終演予定 14:30)

    【出演】
    武久源造(フォルテピアノ)

    【使用楽器】
    ゴットフリート・ジルバーマン1747年製フォルテピアノ(復元:深町研太2007年)

    【プログラム】
    ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:2声のインヴェンション ハ長調 BWV 772
    ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903 より 幻想曲
    カール・フィリップ・エマーヌエル・バッハ:ロンド イ短調 Wq.56-5 H.262
    ヨハン・クリスティアン・バッハ:ソナタ ト長調 作品5-3
    ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828

    【全席指定】1,500円(1ドリンク付き)
    【お問い合わせ】水戸芸術館チケット予約センター
    TEL.029-231-8000 (営業時間 9:30~18:00/月曜休館)

    【主催】公益財団法人水戸市芸術振興財団
    【協力】(株)エディファミリー

    詳しい公演情報はこちらをご覧ください。

    | ちょっとお昼にクラシック | 16:52 | comments:0 | trackbacks:0 | PRINT | TOP ↑

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    【ちょっとお昼にクラシック】 松波恵子、チェロと歩む人生を大いに語る!

    松波恵子さんと言えば、水戸室内管弦楽団(MCO)のチェロ奏者としておなじみの存在ですね。しかし、その奥ゆかしいお人柄と穏やかな性格ゆえでしょうか、今まであまり表だってプロフィールが紹介されたことはなかったかも知れません。『vivo』では、チェロと歩んで来られたこれまでの人生を振り返っていただきながら、来る2月27日の演奏会に向けてお話をうかがいました。

    ― まず、チェロとの出会いからお聞かせいただけますか。

    松波恵子
    松波恵子
    松波恵子:音楽好きだった父のすすめで、小学2年生のときチェロを始めました。中学1年生の姉も才能教育でチェロを習っていたのですが、周りはもっと小さい子だらけでした。父は「遅すぎた」と感じたらしく、妹の私にお鉢が回って来ました。姉がチェロを弾くのを見ていましたので、いきなりチェロを与えられても何の抵抗もなかったです。

    ― 松波さんは、日本の女性チェロ奏者の草分け的存在と言ってもいいですよね。

    松波:私の記憶では、江藤俊哉さんの妹さんの江藤蘭子さんという方が、チェロをやっていらっしゃいましたね。その次くらいがもう倉田澄子さんになってしまいますかね。倉田さんは私のたった4つ上ですので、そうですね・・・、私も「草分け」の方に入ってしまいますね(笑)。

    ― その後、斎藤秀雄先生の門をくぐり、桐朋女子高等学校に進まれるわけですが、斎藤先生のレッスンは如何でしたか。

    松波:斎藤先生のレッスンは、それはもう厳しかった!今でも忘れられない話として、高校3年の時に日本音楽コンクールに出ろと言われました。本当に一生懸命勉強していったんですが、ある時、「あんたにはまだ無理だったかなぁ」と言われてしまって・・・。本当に悲しくて、斎藤先生の前でぽろっと泣いてしまったのは、あれが初めてだったかもしれません。無我夢中でやっていただけに、精神的にきつかったですね。先生としては、発破をかけたつもりだったのでしょう。同じ時に、3歳上の安田謙一郎さんも受けました。斎藤先生の頭の中で、その年は「安田さんが1位、私が2位」というのが完全に想定されていたんですね。結果、その通りになりました。

    ― パリへの留学を経て、1976年、新日本フィルハーモニー交響楽団に入団されます。若くして首席奏者として招かれたんですよね。

    松波:バッハの〈マタイ受難曲〉のヴィオラ・ダ・ガンバのソロの部分を弾いてほしいというお話が、新日フィルの方から突然ありました。一晩必死にさらって、新日フィルの練習会場に行ったら、小澤征爾さんがいらしていて、それで多分合格したんでしょうね。ちょうどパリ留学から帰ってしばらくした頃で、自分には何ができるだろうかと模索していた時期でした。まだ20代でしたから、オーケストラの首席が私に務まるかどうか不安はありましたよ。でも実際は、学生時代、桐朋でオーケストラや合奏の訓練を徹底的に受けていたので、大丈夫でした。

    ― これまでずっとチェロとともに歩んでこられて、あらためてその魅力とは?

    松波:自分が表現したいと思うことを受けとめてくれると言いますか、歌いたければ歌のようになめらかに音を出すことが出来るし、ヴィルトゥオーゾ的に弾こうと思えば、そういう表現も出来るし、すごく表現に幅のある楽器だと思います。それから、室内楽でハーモニーのベースとなる低音を弾くのも醍醐味ですね。例えば、ハイドンのカルテットをやると、譜面上はすごくやさしそうに見えるんですけれども、チェロが演奏の鍵を握っている、というところがあって。リズム、ハーモニーなどチェロがちゃんとしていないと崩れてしまいますし、ちょっと指揮者をやっているような気分になるときもありますね。

    ― さて、2月27日の演奏会は、松波さんを中心に素晴らしいメンバーが集まってくださいますね。

    松波:ピアノの川村文雄さんは、実はちゃんと合わせるのは今回が初めてなんです。音楽的にとても信頼している知り合いに、「松波さんはあのピアニストと絶対に一緒に演奏するべきだ」と言う人がいましてね。それで企画をあたためていたところに、ちょうどこのお話をいただいたので、お願いすることになりました。
    バソンの小山清さんは、もう古い知り合いで、私がパリに留学している頃に彼もパリに来ていて、パリの古いアパートを小山さんを含め何人かでシェアしていたんですよ。なんか腐れ縁みたいな感じです(笑)。とてもこだわりのある人で、バソンというフランス式の楽器に対する思いも熱いですし、音楽に対する情熱もすごい。演奏会では、楽器にまつわるいろいろなお話が聞けると思いますよ。
    ヴァイオリンの島田真千子さんとは、よくMCOでご一緒していますが、実は、彼女のお母さんと私は同級生なんです。桐朋学園で、島田さんのお母さんはピアノを専攻されていました。10年以上前の話になりますが、島田さんがサイトウ・キネンに参加されたとき、お母さんが演奏会を聴きにいらしていて、「ああ、お久しぶり!」と驚きの再会になったんです。以来、サイトウ・キネンやMCOで島田さんとはたくさんご一緒してきましたが、室内楽で共演するのは今回が初めてです。とても楽しみにしています。

    ― プログラムについてはいかがですか。

    松波:ヴァラエティに富んだプログラムにしたつもりです。エルガーの〈愛のあいさつ〉は、川村さんが4人で弾くためにアレンジしてくださいました。そのエルガーで和やかに始まって、それぞれが腕を見せるソロがあって、チェロとバソンのデュオがあって、最後は聴きごたえのあるメンデルスゾーンの〈ピアノ三重奏曲〉で締めくくる、という流れです。中学生の皆さんにも、一般の方々にも、気軽にお楽しみいただければ幸いです。

    聞き手:関根哲也(『vivo』2015年2月号より)

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